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面接される方も大変だが面接する方も大変だ

 就職活動の季節である。僕が学生の時は4年生になる前から就職活動が始まっていたが、今では就職活動は4年生になってから始めることになっているらしい。僕が住んでいる場所は近くに有名な大学があって、この時期になると、駅に近い喫茶店では盛んに採用面接の対策が行われている。リクルートスーツ姿の若者が、おそらく就職活動に成功した先輩にアドバイスを請うたり、模擬面接をしたりしている。それを近くの席で聞き耳を立てているとそれだけで暇つぶしになる。アドバイスをしている先輩の方も大した社会経験があるわけではないので、「マニュアル通りの答え方は駄目だ」などと言いつつ、「とにかく笑顔が大事だ」とか「はきはき喋った方がいい」とかマニュアル通りのアドバイスをする。それを大げさに頷きながら、いちいち真面目にメモを取っている就活生が気の毒になってくる。
 ところが、最近の僕はそんな光景を素直に笑ってもいられなくなってきた。というのも、僕自身が面接官となる機会が巡ってくるようになったからである。こんなどこの馬の骨ともつかない男に、ともすれば人生を左右しかねない採用面接を委ねられるなど、本当に就活生というものは哀れな存在である。 就活生はまず、採用面接の際に面接官として目の前に座っている人が、ただのおっさんなんだということを知っておいた方が良い。ただのおっさんであることを知っていれば、殊更緊張せずに面接にも臨めるし、例え採用されなかったとしても、それほど精神的ダメージを受けることもあるまい。なぜ若者は常日頃おっさんを見下しているにもかかわらず、採用面接となると、おっさんを神のように畏怖し、採用されないとまるで神に見離されたがごとく絶望するのだろうか。それは単に就活生が面接官も一人のおっさんであるという事実に気付いていないからに他ならないからだと考える。
 おっさんの方も、かれこれ20分やそこらの面接で就活生の人間性などこれっぽっちも分からない。まして一度に5人も6人も面接をしていると、2番目に面接した奴と5番目に面接した奴の区別がほとんどつかないのである。特に最近の就活生はマニュアル本が普及した影響なのか、みんな判で押したように同じようなことを言うと言われており、差をつけるのが一層難しくなっている。たまにマニュアルを度外視して、突飛なことをいう就活生に出くわすと、その答えが適切なものであるかそうでないかにかかわらず、思わず高評価を下してしまいそうになるのは人情というものである。それでも数少ない情報をもとに、こいつは合格、こいつは失格という判断を下さなければならないのだから、面接する側もする側でなかなか過酷な任務なのである。
 それではおっさんが乏しい情報をもとにどのように就活生の峻別をしているのかというと、質問に答える時の表情とか、挙動の端々から滲み出る人間性とか、そういうところで判断するしかないのである。もちろん世の中には面接官のプロという人がいて、もっとしっかりとした判断基準をもって面接に臨んでいるのだろうが、全ての会社にそんなプロがいるわけもなく、多くの会社が僕のような急造面接官として採用面接を行っているということも知っておいて損ではあるまい。
 最後になるが、ごくまれにこちらが感心してしまうような受け答えをする人があらわれる。先日もある女性に対して面接を行っていたのであるが、彼女は「自分はこういうことがやりたいから、この面接を受けた」ということを一点のブレもなく、ただひたすら説いていた。途中からはもはやどちらが面接官なのか分からないような感じになってしまった。
 目的意識がはっきりしていて、使命感を持っている人は強い。おそらく、能力的には彼女と他の受験者の間にそれほど大きな差はないはずである。ただ、自分が何をしたいかという強い思いがあるだけで、他の者と大きな差がついてしまうものである。我が身を省みても、学生時代にあれほどの強い使命感を持ったことがあっただろうか。彼女には次に会った時、その強い目的意識をどのようにして得たのか、ゆっくりと聞いてみたい。