寒くて壊れやすい家に住み続ける哲学

 年末年始の休みは東京にある実家や田舎の家に行っていたが、家の中にいると、どうも背筋や首筋に寒気を感じることが多かった。これは悪霊にでも憑りつかれでもしたかと思ったが、ただ単に体感的に寒いのだということに気付いた。実家や田舎の家は純然たる木造の日本家屋で、戸や襖から冷たいすきま風が漏れてくるのである。せっかくストーブやヒーターで室内を暖めても、すきまから冷気が入り込んでくるわ、熱気は外に逃げて行ってしまうわで、どうにも熱効率が悪い気がする。久しぶりに自分が住んでいる鉄筋コンクリートのマンションに戻ってきた時には、ああ、人間の住む家というものはこうでなければいかんとほっと胸を撫で下ろしたものである。
 そんな時、1月6日の日本経済新聞にこんな記事が掲載されているのが目に留まった。


 要約すると、日本の家屋は暖房にかけるエネルギー量も断熱性能も諸外国と比べて著しく低いということである。
その根源にあるのは、吉田兼好が著した「徒然草」の中にある「家の作りようは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる」という一節であるというのだ。もし本当であれば「徒然草」というのは学生の頃には古文で我々を苦しめ、大人になってもなお家の寒さで我々を苦しめ続ける悪魔のような存在である。
 しかし僕には兼好法師ごときが千年も先の未来の日本の住宅事情にまで影響を与えたとも思えない。これは吉田兼好ひとりの考え方によるものではなく、長きにわたって日本人に受け継がれた精神性なのだと思う。
 日本を訪れる外国人は「日本の家は木と紙でできている」と言って驚くという。なぜ日本ではヨーロッパのように石を積んで家を建てることをしなかったのか。石の家は断熱性も良く、風通しさえよければ夏も涼しく過ごすことができる。昔の日本には石を積む技術がなかったのかとも思ったが、昔の城などを見ても、実に精巧に石垣が積んであるので、そういうわけでもなさそうだ。おそらく日本は地震が多いので、石造りの家を一般人にまで普及させてしまうと、大きめの地震が来るたびに家が崩れ、住民が下敷きになって死んでしまいやすいからかもしれない。一方で木と紙の家であれば、地震で家が崩れても石よりは圧死する確立は低いだろう。
 日本のように自然災害が多い土地では、家を敢えて壊れやすく作るというのもひとつの選択肢であるような気もする。毎年のように大型台風に見舞われるフィリピンでも、家の造りは粗末なもので、一度台風が来ればすぐに吹き飛ばされてしまう。それでも土地の人たちはしょげることなく、元のように粗末な家を組み立てて、また次の年に台風に飛ばされるということを繰り返している。
 そこには自然の力には抗えぬという東洋的な哲学が考え方が根底にあるのだと思う。せっかく家を建てても、地震や台風などの自然災害が来れば崩れてしまう。それならば崩れても物質的にも精神的にもダメージの少ない建て方をして、またすぐに組み立てやすい家を建てればいいじゃないかという、ある種達観した考え方が具現化した場所に、日本人は今も住み続けているのではないだろうか。