読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

無理矢理に輝かせられる女性たち

 最近「女性が輝く」というキーワードを頻繁に耳にする。どうもアベノミクス成長戦略において、「すべての女性が輝く社会づくり」というのを柱のひとつに据えているらしい。「なるほど、安倍総理は身体に金箔や蛍光塗料を塗った女性が好きな変わった性癖の持ち主なんだな」と早合点し、そういうAVを買い揃えて首相官邸に送ってあげようかと思ったが、そういうことでもないらしい。
 一口に「女性が輝く社会」と言われても漠然としすぎているので、具体的にどういうことなのか調べてみると、ご丁寧にも僕がAVを送ろうとした首相官邸のホームページにおいて、「すべての女性が輝く社会づくり」という特設ページが設置されていた。リンクを辿って色々と読んでみると、どうやら女性が出産と家事と仕事と介護を頑張りやすい社会というのが女性が輝く社会であるらしい。具体的には待機児童をなくすため保育所や保育士の数を増やしたり、企業において女性管理職の割合等について数値目標を設定することを義務付けることなどが施策として挙げられている。
 確かに少子高齢化により労働人口が著しく減少している日本では、女性の社会進出を促進し、バリバリ働いてもらった方が良いのかもしれない。確かに机上の論としては理解できるのだが、当の女性にそういう意識があるのかという疑問を抱かざるを得ない。自分の奥さんをはじめとして、僕が普段顔を合わせている女性が特殊なのかもしれないが、彼女たちの多くはあまり外に出て働くことを望んでいないように感じる。むしろ冗談交じりに「早く結婚して専業主婦になりたいです」ということをよく言っており、おそらくそれは偽らざる本音なのだと思う。そして、それはつい何十年か前までは、女性として極めて真っ当な生き方であったのだ。
 もちろん社会に出て仕事を頑張りたいという意向を持っている女性に対して、その道を阻むことはあってはならないと思うが、家の中で妻や母としての仕事に専念することを望んでいる女性にまで外で働くことを強制することもなかろうと思う。何も外に出て働くことだけが、女性が輝くためのただ一つの道ということでもあるまい。僕は自分の母親がそうであったためか、専業主婦に対して肯定的な考えの持ち主である。特に小学生のうちは、学校が終わって家に帰ると、そこに母親がいたことが、自分にとってどれだけ救いであったか分からない。専業主婦というのもあれはあれでなかなかの重労働ではあるし、何より余人を以って替えがたい重要な仕事である。子供の頃の僕にとっては、家に帰るといつも僕を迎えてくれた母親は誰よりも輝いている存在だったのだが、果たして今の首相官邸は、僕の母親のような女性を輝いていると認めてくれるのだろうか。
 首相官邸のホームページにおいては、敢えて「すべての女性が輝く社会」と例外を認めないような書きぶりがなされている。男性は輝いていようがくすんでいようが本人の自由だが、これからの女性は、本人が望む望まないに関わらず、輝いていることが求められる。女性が輝くことには諸手を挙げて賛成したいが、どのような状態が輝いていることになるのか、もう少し詳しい説明が欲しいものだと思う。その上で、その状態が自分にとって望ましいものではなかった場合には、「敢えて輝かない権利」を認めてあげても良いのではないだろうか。