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「ISILと闘う周辺各国」という表現は意図的に使われたのか

 本日2015年2月1日の朝、かねてからISILに拘束されていたジャーナリストの後藤健二さんが同組織に殺害されたと見られる映像がインターネットにアップされた。後藤さんやそのご家族に哀悼の念を捧げるとともに、彼を殺害したISILには怒りの念を禁じえない。それは後藤さんと湯川さんが自分と同じ日本人であるというばかりでなく、それに至るまでの非道なやり口、そして彼らが行っていることが、彼らのように狂信的かつ過激ではない、ごく普通のイスラム教徒に誤った印象を植え付けかねないということに対してである。
 この度の一件については、最も悪いのは誰が何と言おうとISILであり、彼らは自分達の起こしたことについて報いを受けるべきである。ネット上にアップした動画の中で、ISILは二人の日本人が殺されたのは、さも日本側の対応が悪かったからであるような言い方をしているが、そもそもおまえらが二人を攫わなかったらよかったんだろということは今更僕がここに書くまでもないことである。
 ただし、僕には少しだけ引っ掛かることがある。先月中東を訪問していた安倍首相は、エジプトにおいて行ったスピーチの中で、「ISILと闘う周辺各国に総額で2億ドルの支援を行う」旨発言している。このスピーチが行われたのは1月17日のことだが、日本政府はそれよりもかなり前に後藤さん及び湯川さんの二名がISILに拘束されている事実を知っていたらしい。そのことを知りつつ、なぜ「ISILと闘う」などという表現を使ったのか。後日、安倍首相は、ISILが二人の動画をアップしたことを受けて、「2億ドルは避難民への人道支援のために拠出する」ことを強調したが、初めからそうした表現を使っていれば、今回のようなことは起こらなかったのかもしれないということは既に多くの人が指摘しているところである。
 報道によれば、ISILが湯川さんを拘束したのは8月頃、後藤さんを拘束したのは2014年10月末頃のことであるらしい。そこからISILが二人の動画をアップするまでの数ヶ月間、彼らは特に何らアクションを起こすことなく、ただ二人を飼っていたことになる。おそらくは日本政府がイスラム国にとって不利な言動をした場合のカードとして取っておいたのではないかと推察される。そんなところに1月17日の安倍首相の発言である。ISILは待ってましたとばかりに二人をカメラの前に引き出したというわけである。
 それでは「ISILと闘う周辺各国」という表現を安倍首相のスピーチ原稿に書いたのは誰かということになる。学校のスピーチコンテストじゃあるまいし、さすがに安倍首相が自分で外交演説のスピーチを書くということはないだろう。通常は外務省が原稿を書き、首相は書かれていることを読むだけのはずである。一国の首相の発言は大変重いので、そこには何重ものチェックが入るはずである。最終的には安倍首相も事前に原稿をチェックするだろう。その間に一体何人がかりでスピーチ原稿をチェックしたのかは知らないが、「ISILと闘う周辺各国」という表現がISILを挑発する可能性について、誰も考えが及ばなかったのだろうかという疑問が生じる。また、何重目のチェックの段階でこの表現が登場したのかも気になるところである。
 拘束されている二人がISILに殺されるなんて全く考えが及びませんでしたというのも、殺されることまで想定して書きましたいうのも、どちらにしても背筋が寒くなる話だ。このことは、今回の一件を深く理解する上で、重要な鍵になるような気がしている。今後おそらく報道や国会などでも取り上げられるはずなので、注意深く見守っていきたい。
 また、どうやらISILは後藤さんを殺害したビデオにおいて、「これは日本の悪夢の始まりだ」などということを言っているらしい。大都会で自爆テロが起こったり、日本国内の宗教施設が破壊されたり、海外旅行先で誘拐されたりするようなことになるのだろうか。「テロに屈しない」と言葉で言うのは格好が良いが、いざ自分の身に被害が及んだ時に果たして同じようなことが言えるかどうか、その時になってみないと分からない。