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鴉との闘い~ワレゴミステニセイコウセリ~

 僕が住んでいるマンションの裏手には、そこそこ大きな山があるのだが、どうやらそこにはかなりの数のカラスが生息しているらしい。週末の夕暮れ時などに山の近くまで出かけて行くと、夥しい数のカラスが電線という電線、枝という枝に止まり、ぎゃーあぎゃーあと騒いでいる。あまりに壮観だったので、つい足を止めて大勢のカラス達の様子を眺めていると、彼らは実に複雑な編隊を組んで飛び回ったり、明らかに会話をしていそうな鳴き声で互いにコミュニケーションを取っていたりしていて実に興味深い。
 カラスを手懐けられたら面白いだろうな、と思う時がたまにある。取引先と打ち合わせを終えた時に、「それではまた」と挨拶をするやいなや、右腕をばっと上げたら、夥しい数のカラスが飛来して僕の周りを取り囲んだかと思うと、次の瞬間には僕はたくさんのカラスに支えられて空に舞い上がっていた、なんてことができたらカッコいいではないか(まあこれをかっこいいと思うかどうかは賛否両論ある気もするが…)。空を飛ぶまでのことはできなくても、肩や腕にカラスが止まっているだけで十分に周囲を威圧する効果はあると思う。仕事でどんなミスをやらかしたとしても、肩にカラスが止まってる奴を怒ろうなどという気にはならないだろう。
 やはり肩に子猫やハムスターが止まっているのとカラスが止まっているのでは威圧感に雲泥の差が生じると思う。それだけカラスは他の動物に比べて不気味さが抜きん出ているのである。身体は全身濡れたように黒光りしているし、目付きが鋭く、何かの拍子に目が合っただけでどきっとする。また、上述の例に見られるように、カラスはとても知能が高く、それが不気味さを一層際立たせている。何年か前に道を歩いていたら、前を歩いている女性の頭を目掛けて3羽のカラスが連続的に攻撃を加えた後に、すぐ上の電線に止まったかと思うといかにも被害者の女性を馬鹿にしたような声でカアと鳴いている様子に出くわした時には、実はカラス達は人間を見下しているんだなと本気で考えてしまった。
 人間とカラスが本気で殺し合いをした場合のことを想定すると、人間サイドにいる僕が考えても、そう簡単に勝てる相手とは思えない。集団で高いところから頭に石でも落とされたら厄介だし、思わぬアングルからくちばしで目を狙って突いてこられたら致命傷である。今の段階ではカラスは人間に敵意を剥きだしにしていないが、何かの拍子にカラスの不興を買ってしまったらひとたまりもないかもしれない。
 そんなことを考えながら出社の準備をしていると、かみさんからゴミ出しを命ぜられた。人が人間カラス大戦争のことを考えている時に何を悠長な・・・と思ったが、口ごたえすると今度は家庭で大戦争が始まってしまうので、黙って引き受けておいた。ゴミ捨てをさせられる度に、一体誰がこんなに大量のゴミを出すんだ、実に怪しからんと考えるが、原因はほかならぬ自分なのだから仕方がない。
 僕のマンションのゴミ捨て場は、ちょうど動物園でタヌキが入っているぐらいの大きさのケージである。たまに中を覗くと、どこかの家で捨てられたおじさんが膝を抱えて座っていたりする。ケージにはかんぬき式の鍵がかかるようになっていて、容易には扉が開かないようになっている。僕が大きなゴミ袋を二つ提げて、ゴミ捨て場の扉を開けようとしたところ、至近距離から一羽のカラスがこちらを見ていることに気がついた。
 ここのゴミ捨て場では、たまにゴミ袋が破けていて、中にある生ゴミなんかが食い散らかされたように散乱していることがある。一体何がどうなったらこういう事態になるのかと不思議でいたのだが、自分なりに仮説を考えてみると概ね次のような感じではないだろうか。カラスは扉の前で待ち伏せており、ゴミ捨てに来た人間が扉を開けるのを見計らって中に飛び込んでいくのではないだろうか。ゴミを捨てた人もカラスと戦って追い出そうというほどの根性があるわけもないので、そのまま放置してしまうのだろう。あとはカラスの思うがまま、ということである。
 さて、僕はというと、先ほどまでカラス対人間の戦争のことについて考えていたので、そう易々とカラスにゴミ捨て場を明け渡すわけにはいかなかった。どのようにカラスの侵入を許さずにゴミを捨てられるか一生懸命考えた。今思うと、朝っぱらからゴミ捨て場の前で大きなゴミ袋を二つ提げて首をひねって考え事をしている30代男性というのは酷くシュールな光景である。そうしてたどり着いた結論が、カラスとの間合いを計りながら、ゴミ袋がぎりぎり入るくらいまで、ゆっくりと少しずつ扉を開けていくという非常に地味な作戦だった。
 作戦に入るやいなや、時の流れがゆっくりになるとともに、心臓の鼓動が聞こえる。横目でカラスを牽制しながら、ゆっくりと、1センチ単位で少しずつ扉を開けていく。決して焦ってはいけない。扉を開きすぎてもいけないし、開かずにゴミ袋が入らなくてもいけない。ちょうどよい大きさに開かなくてはいけない。ここだ!という大きさに達するやいなや、僕はマッハのスピードでゴミ袋をケージの中に押し込め、マッハのスピードで扉を閉じた。この時にちょっと慌てて右手の指を勢いよく挟んでしまったのはここだけの話である。
 こうして僕はカラスの侵入を許すことなく、出勤時のゴミ捨てという過酷なミッションをやり遂げたのである。問題のカラスの方を見ると、自分がケージの中に入れなかった悔しさに気付かないほど、僕のあまりのスピードに絶句して目を丸くしていたようだった。