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中途半端に歳を取るとおちおちゲームも楽しめない

 花粉症が酷くて天気が良ければ良いほど外出するのが億劫になってしまう。僕は普段から出不精な方なのだが、今の時期はますます家の中にいる時間が長くなる。家の中にいても退屈なので、何か家の中で楽しめるものを探しているのだが、どうもこれだというものがない。
 最近はiPhoneiPadで遊べるゲームが充実しているという話を聞いたので、それなら自分も面白そうなものをダウンロードして遊んでみようかいと思い、色々と検索してみたりしたのだが、段々と頭の中で「死ぬまでに残り少ない時間をゲームなんかに費やしていいのか」という考えが支配的になっていくことに愕然としてしまった。
 少なくとも5年ほど前までは30手前という年齢にもかかわらず、無心にドラクエ9を楽しんでいたはずなので、そんな考えが頭をよぎることすら想像だにしていなかったが、中途半端に歳を取ると純粋にゲームを楽しむことさえできなくなっていけない。面白そうなゲームを検索しているだけで、誰かが頭の中でゲームなんてやってる暇があったら、本の一冊でも読んだ方がいいんじゃないかとか、資格を取る勉強をした方がいいんじゃないかなどと身も蓋もないことを囁くのである。いつからそんな考え方をするようになったのか分からないが、そんなことではゲームを心から楽しむことはできないだろう。
 そもそも趣味なんてものは、所詮は暇つぶしであるからして、本来優劣をつけるべきものではないのだが、最近はたとえそれが趣味であっても生産的なことをしなければいけないという強迫観念のようなものが芽生えてきているようだ。別にゲームをやらないからと言って、その時間に何か生産的なことをするわけでもないのだが、無為に時間を過ごすことに罪の意識を感じるようになってしまった。
 これは昔から感じていることなのだが、僕は人生にメリハリをつけることが極端に下手糞なのである。遊ぶ時は思い切り遊び、仕事なり創作なり生産活動に入る時には思い切りそれに没頭するということができない。遊んでいる時にも「こんなところで遊んでいていいのかな」とか「明日は仕事でこれをやらなきゃな」ということを頭の片隅で考えているし、仕事をしている時は「次の休みは何をしようかな」とか「臨時収入で100万円入ったら何に使おうかな」などとくだらないことを考えてしまい、仕事に身が入らないということがよくある。遊ぶ時は無心に遊び、働くときはがむしゃらに働くという姿勢の方が断然正しく、今の自分のスタンスでは損していることは百も承知なのだが、持って生まれた性質というものはなかなか直らないようなので仕方がない。それどころか上述のようにますます変な方向に拍車がかかってしまっているので始末に負えない。
 頭の中に「ゲームなんてしてないで生産的なことをしろ」という奴がいるのであれば、少しでもそいつの納得のいくような生産的な活動をするべきなのだろう。例えばブログの記事を書くことは辛うじて生産的と言えるのではないだろうか。自分の感じたことや考えたことを文章にまとめ、それが未来の自分や他人に良い影響を及ぼすことができれば、ブログも十分に知的生産と言う事ができるだろう。本当に未来の自分や他人に良い影響を及ぼすことができるのであれば・・・。