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豆腐歳時記

 小学生の頃、夏休みで家にいる時などは、よく近所の豆腐屋までお使いに行かされていた。母親に持たされたタッパーを持って豆腐屋さんに行くと、僕の家の浴槽より一回りも二回りも大きなステンレス製の水槽に、蛇口から絶えず水が注ぎ込まれていた。
 水槽の中を覗くと、きちんと同じ大きさに切られた豆腐が何丁も沈んでいて、おそらくそんなことはないと思うが、水の中でゆらゆらと揺れているように見えた。店先には誰もいないことが多く、声をかけて奥にいるおばさんを呼び出さないと誰もやってこない。僕はそれを良いことに、しばらく水槽の中の豆腐をじいっと見つめているのが好きだった。
 薄暗い店内に置かれている水槽は、銀色のステンレスがいかにもひんやりとした感じがして、夏の暑い日などは、豆腐になって冷たい水の中に沈んでいられたら、どんなに気持ちいいだろうなどと考えることもしばしばであった。
 気のゆくまで豆腐を眺め終えると、僕ははじめて「すみません、お豆腐一丁!」と声をあげる。そうすると、店の奥からおばさんが出てきて、いかにも慣れた感じで水槽の中にざぶっと腕を突っ込み、豆腐を一丁、手のひらに乗せて掬いだし、僕が持参したタッパーの中に入れてくれるのである。家から握り締めてきた小銭と引き換えにタッパーを受け取って、豆腐をこぼさないよう、そろそろと歩いて家に帰るまでがお使いである。おそらく時間にして10分に満たないものだったろうが、小学校低学年の僕にとっては、なかなかの冒険であった。
 お使いで豆腐を買ってくることは好きだったが、せっかく買ってきた豆腐が食卓に並ぶのはあまり好きではなかった。僕が好きなハンバーグや唐揚げに比べて、豆腐というのは味もなければ噛みごたえもなく、物を食べている感じがしないのだ。大抵味噌汁の御椀の中で最後まで残っており、母親に豆腐だけ残すんじゃありませんと言われて嫌々口の中に押し込むのが常であった。
 大人になると味覚が変わるのか、だんだんと豆腐の味が分かるようになってくる。上等な豆腐は成分が凝縮されているのか、大豆の味がふわっと口の中に広がるような気がする。そういう美味い豆腐を、寒い日に熱燗片手に湯豆腐にして食べて温まるのが、冬の最高の贅沢ではないだろうかと考えている。

 この度結婚した後輩が「好きな食べ物:豆腐」などとシブいことを書いていたことにちなんで。