タイムマシンとしての甲子園

 時間を持て余していた学生の頃は、海だプールだ夏祭りだ花火大会だと色々なイベントを満喫していたものだが、社会人になってしまうと夏というのはただの暑くてうんざりする日の連続でしかない。そんな中で夏の甲子園こと全国高等学校野球選手権大会をテレビで観戦することは、僕にとって数少ない夏の楽しみである。別に野球観戦自体は好きでも嫌いでもないという程度のものだが、不思議と甲子園の中継には刮目せざるを得ない。
 一体甲子園の何が僕をそんなに惹きつけるのだろうかと考えてみると、一言で言えば「おっさんの郷愁」ということになるのだろう。高校球児を見ていると、なんだか高校生に戻ったような気分になるのである。甲子園というのは、高校生活のほとんどを野球に捧げて厳しい練習を耐え抜いてきた日本全国の集結する場所であり、そもそも野球部に所属してもおらず、高校生活のほとんどを惰眠とオナニーに費やしてきた僕と比べるべくもないのだが、なぜか昔の自分もテレビの中の球児と同じように青空の下で白球を追いかけていたような錯覚を抱いてしまうのだから、人間の記憶というものは実にいい加減で都合よくできているものである。

 僕は甲子園を大いに湧かせた松坂世代の人間ではあるが、僕自身が高校生だった頃は今ほど高校野球に関心はなく、テレビ中継もほとんど見ていなかった。それどころか同世代の人間が世間から注目を浴びるのを見るのが嫌で、甲子園そのものを敬遠していたフシさえあった。

 ところが段々歳を取ってくると、テレビから甲子園の中継が流れてくると、「お!」と俄然テンションがあがってしまい、しばし画面に釘付けになってしまう。おそらくこのような現象は僕だけではなく、多くのおっさんに見られるものではないかと察する。甲子園を見て画面に見入ってしまうか否かというのは自分がおっさんかどうかを測る良い指標になるのではないか。

 今年は高校野球が始まって100周年になるそうだが、100年間も続いているのは古今東西のおっさんの支持があってこそなのだろう。もはや甲子園は単なる野球の試合ではない。青春時代などとうに過ぎたおっさん達が手軽に青春を取り戻せた気になるタイムマシーン的な要素を併せもった優れモノなのである。プロ野球の視聴率は低下の一途を辿り、今ではプロ野球をテレビで見ること自体ほとんどなくなってしまったが、甲子園の中継だけはどれだけ歳月が過ぎようと、世の中におっさん達が居る限りなくならないであろう。

 そんなおっさん達の身勝手な郷愁に付き合わされて、今日も高校球児たちは35℃の炎天下のなか、汗まみれ、泥まみれになりながら、甲子園を所狭しと駆け回っている。一度は甲子園球場まで足を運んで、生で観戦してみたいものだと思っているが、これだけ暑い夏だと及び腰になってしまう。これからも温暖化が進んでいくようであれば、そのうち熱中症で死んでしまう人が出てきてしまうんじゃないかと心配になる。熱中症で死ぬ人が何人か出てはじめて全国高校野球大会をドーム球場で実施することが検討されるだろうが、その時に死ぬのは未来ある高校球児ではなく、失われた青春を取り戻しにいったおっさんであることを切に希望する。